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Profile 経歴

2016



 施   工:ナガイホーム

2014-2015



 設計・監理:沼田恭子建築設計事務所と共同設計
 施   工:木場建設株式会社

2013-2014



 事 業 主:社会福祉法人 練馬区社会福祉事業団
 設計・監理:沼田恭子建築設計事務所と共同設計
       構造:KAP・空間工学研究所 
       機械設備:環境デザイン・エイアンドエヌ
       電気設備:ルナ設備設計事務所
 施   工:共立工業株式会社

2011-2013



 事 業 主:社会福祉法人 練馬区社会福祉事業団
 設計・監理:沼田恭子建築設計事務所、プロトフォルム一級建築士事務所と共同設計
       構造:KAP・空間工学研究所 
       設備:明野設備研究所
 施   工:関東建設工業株式会社 東京支店

2011


今年3月末に閉店した千駄ヶ谷Loop-Lineが、7月に戸越銀座で新しい場所「l-e」として再スタートされました。物件探しのころから相談役として関わらせていただきましたが、戸越銀座のこの場所が見つかってからは、様々な条件が好転の方向へと流れていき、予想以上に早い展開で、新生Loop-Line「l-e」が誕生するという運びとなりました。壁の珪藻土塗り、カウンターや小さな机の製作などは、オーナーの坂本さん、坂本お母さん、それにこの場所の誕生を心待ちにしていたミュージシャンの方々や足を運んでいたお客さんの手作業によるもので、ちいさなイベントスペースにも関わらず、たくさんの方の期待が込められた場所です。

2011

2007-2010


高市 都市・建築・デザイン勤務
中札内パーペル増築計画、六花亭西帯広店、六花亭富良野店、赤坂マンションM邸改修計画を担当させて頂きました。

2008

2006

2005

2004


この住宅は建物の軸を南北方向から45度振って、ファサードを南東方向に向けて計画しました。午前中の東からの太陽が建物の正面にあたることにより、午前中の生活を快活に促し、午後の西からの太陽は裏庭を照らし、リビングから午後の光が差し込む裏庭を望む。この住宅では、太陽の光によって織りなされる風景をデザインするということが、建築家が出来る素晴らしい仕事であることを発見することが出来ました。

2003

2002


西日を避けるのと、1階の木製サッシに直接風雨が当たらないようにするために、外部デッキ部分に庇+ガラスルームの増築を計画しました。この増築によって玄関ホールの空間的な奥行きが出来、横須賀S邸はようやく最終型に落ち着きました。

2000-2002


高市 都市・建築・デザイン勤務
スケルトン・インフィル分離型住宅〜A-residenceのスケルトン部分を担当させて頂きました。

1999


この住宅は私の両親が住む家として設計しました。それまで住んでいた家は、玄関から繋がる中廊下から各個室に入るいわゆる一般的な住宅のプランだったのですが、この住宅では家全体のボリュームの約1/3を玄関ホールとして計画しました。玄関を入ると1階と2階をつなぐ吹抜空間になっており、外から入ってくるとまずダイレクトに家全体の構成が感じられるようになっています。玄関ホールに面して各居室を配置して、居室を出ると吹抜け空間を共有するようになっています。外観の形態はごくシンプルな切妻屋根とし、周囲の街並になじむことを心がけています。

1994-1997


内藤廣建築設計事務所勤務
所員だった時期は2年半ととても短い期間でしたが、内藤さんに頂いた一言一言は今でもとても深い記憶となって心に刻み込まれており、時々に思い返されるものとなっています。私が所員だった時期には、牧野富太郎記念館、安曇野ちひろ美術館、天心記念五浦美術館、十日町情報館など、多くのプロジェクトが進行しており、着想からスタディを重ね建築としてまとめ上がっていく現場を近くで見ることが出来たことはとても貴重な経験でした。少しの間担当させて頂いた旭川駅舎が、20代だった私には完成は40になる頃だなあなどと果てしなく先のことのように感じていましたが、今年2010年に旭川を訪れる機会があり、姿を現している駅舎を見て、長い時間をかけて堂々と立ち上がっている構造体に感動し、また40を前にしている自分とともにそんなにも月日が経っているのかと感慨深い思いがありました。

1992-1994


大学4年になり、友人たちが一斉に就職活動をする中どうしてもそのような気持ちになれず、横浜国立大学大学院工学部建設学科修士課程へ進学。村上處直都市防災研究室に在籍しました。村上先生は大変寛大な考えをお持ちで、建築は専門に閉じたものではなく総括的な視野が必要だとして、ゼミの学生が自由に研究することを容認してくださっており、私は意匠系のゼミを選択していました。夏休みにはアメリカのバージニア州立工科大学での設計課題+建築見学という研修があり、M1、M2と参加させて頂きました。建築見学は、M1ではボストンツアー、M2ではシカゴツアーで、ミース、ライト、カーンなどの建築を先生の解説とともに見学できたことは、とても貴重な経験でした。それから様々な建築家を知るほど、建築の魅力にぐいぐい引き込まれていき、はじめて建築や都市について考え始めた時期でした。修士論文のテーマは「表現手法における建築と絵画の比較研究 -キュビズム的視点からの検証」でした。

1989-1992


大学受験では5校ほど受けましたが、唯一合格した東海大学工学部建築学科に入学。女子校上がりでいきなり、当時は建築学科もクラスの10分の1しか女子がいないという環境に入り、始めはどうしようか、、と不安もありましたが、すぐになじんで悪友がたくさん出来てとても楽しい学生時代を過ごしました。この頃は、建築のけの字も考えていなかったような気がしますが、閉じた箱の中からいきなり広い世界に出たという感じで、人生という点では今の自分の基盤とも言える多くのことを学んだとても貴重な4年間でした。
4年のゼミは、稲葉和也建築史研究室に在籍。稲葉先生には、研究室の山陰旅行、大学院への進学、卒業設計の時、言葉に尽くせないほど大変お世話になり、歴史の先生が醸し出す独特の寛容さで生意気な私を見守ってくださいました。卒業設計は「都市に住む4人の職人の住宅」でした。

1980-1989



父の転勤で横浜に転居、12歳からは横浜の栄区に住んでいました。中学から清泉女学院中学高等学校に入学。大船の昔お城があったという立地で周囲と距離をおいた感じのある場所でしたが、大変恵まれた環境での学生生活だったと思います。

1970-1980



長崎に生まれ、10歳になるまで住んでいました。記憶にある幼い頃の風景は、家のすぐ裏に広がるみかん畑を駆け回り、自然豊かな環境の中で遊び回っていた楽しい思い出ばかりです。坂の上に建っていた自宅から見えた山々が連なる景色は、私の原風景です。